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「塞翁が馬」の意味と由来
ことわざの「塞翁が馬」は、昔から現代まで長く使われています。しかし、言葉を聞いただけでは意味までは理解ができません。
まずは「塞翁が馬」の意味と由来について解説します。
「塞翁が馬」とは先が読めないこと
「塞翁が馬」は「さいおうがうま」と読みます。「塞翁が馬」の意味は「先が読めない、どうなるかわからない」です。
確かに今は業績が良いけれど、何事も塞翁が馬、気を抜かずにもしもの時に備えておこう
今回は残念だったけど、塞翁が馬というじゃないか、この先今回のことが良い方向へ向かうことだってあるかもしれないよ
塞翁が馬、というように、何事も先はわからないのだから、毎日を一生懸命生きていくしかない
「塞翁が馬」はことわざであるため、特に決まった使い方はありません。会話の中や文章の中で、比較的自由に使うことができます。
「塞翁が馬」の由来は故事成語
「塞翁が馬」は、古い中国の故事成語が由来と言われています。
昔中国のある国に評判の良い占い師がいました。その占い師が飼っていた占い師が飼っていた馬が隣国に逃げ、周囲の人は占い師をかわいそうだとなぐさめました。
しかし、本人はそうとは限らないと言ったのです。しばらくすると逃げた馬がたくさんの隣国の馬を連れて帰ってきました。
周囲の人は、また良かったとい言いましたが、本人はそうとは限らないと言います。しばらくすると占い師の息子が馬から落ちて骨折をしました。周囲の人はまたかわいそうだと慰めましたが、本人はそうとは限らないと言います。
しばらくすると隣国と戦争になりたくさんの若者が命を落としました。しかし占い師の息子は骨折をしていたので戦争には行かず命を落とさずに済んだのです。
これが「塞翁が馬」の由来と言われています。
この物語のように、目の前で起こったことの良し悪しがすべての良し悪しではない、ということを「塞翁が馬」ということわざで表しています。
「塞翁が馬」の使い方と例文
次に、「塞翁が馬」の使い方を例文と一緒に解説します。
人を励ます場面で使う「塞翁が馬」
「塞翁が馬」は、人を励ます場面でよく使われています。
受験に失敗したのは残念だけど、この結果が新しい道を開くことにつながることだってある、塞翁が馬という言葉もあるのだから、自分を見つめなおす機会にしてはどうですか
失恋をしたあなたが、相手を見返してやろうと自分磨きに精を出せば、まさに塞翁が馬の結果に結びつくのではないかと思う
今現在は悪い結果に見舞われて、落ち込んでいる人を励ます場面で「塞翁が馬」が使われています。
戒める場面で使う「塞翁が馬」
反対に「塞翁が馬」を使って、人や自分を戒めることもできます。
宝くじを当てて大喜びしているのはわかるが、塞翁が馬というだろう、これまでより一層生活を引き締めておいた方が良いと思うよ
出世コースまっしぐらの彼は、以前に比べると態度がぞんざいであるように感じる、塞翁が馬ということにならなければいいが
「人間万事塞翁が馬」としても使う
「塞翁が馬」ということわざは、「人間万事塞翁が馬」という形でも使われます。この「人間万事塞翁が馬」は「じんかんばんじさいおうがうま」と読みます。
「人間万事塞翁が馬」とは、「人間同士の世界(この世)では、何が起きるか、何が未来にどのようにつながっているかわからない」という意味です。
「塞翁が馬」の類語
次に「塞翁が馬」と似た意味を持つ類義語について解説します。
一寸先は闇
「一寸先は闇」の読み方は「いっすんさきはやみ」です。「一寸先は闇」とは、今は良くてもほんの少し先の未来はそうではないかもしれない、という意味のことわざで、主には戒めの言葉として使われています。
彼はエリート社員として知られていたが、あんな事件を起こして失脚してしまった、一寸先は闇とはよく言ったものだ
今は自分のやりたいようにやれていますが、一寸先は闇というでしょう、足元をすくわれないように気を引き締めて進んでいきます
災い転じて福となす
「災い転じて福となす」の読み方は「わざわいてんじてふくとなす」です。「災い転じて福となす」とは、不幸だと思った出来事をきっかけに、思わぬ良いことに結びつく様子を表すことわざです。
田中君は財布を落として青ざめていたが、災い転じて福となす、拾って警察へ届けてくれた人と結婚することになったそうだ
受験に失敗した私は悔しさをバネにたくさん勉強しました、そして大学に合格する前に難関資格試験に合格できたのです、災い転じて福となすとはまさにこのことだと実感しました