間違いやすい「濡れ手で粟」の意味と使い方・類語と例文

「濡れ手で粟」の意味と使い方

「濡れ手で粟」はことわざの中でも、日常やビジネスシーンで良く使われています。「濡れ手で粟」の意味や使い方がわかれば、その状況を一言で表すことができます。

まずは「濡れ手で粟」の意味について解説します。

「濡れ手で粟」とは苦労せずに多くの利益を得ること

「濡れ手で粟(ぬれてであわ)」とは、苦労せずに多くの利益を得ることです。通常、大きな利益を得るためには多くの労力が必要と思われています。その労力が最小限、もしくは労力自体をかけずに大きな利を得ることを「濡れ手で粟」といいます。

・相談役は月に数回出勤するだけで、他の社員の何倍もの給料をもらっている、まさに濡れ手で粟だな

・この商品が売れれば、濡れ手で粟な毎日が過ごせるだろう、コストはほとんどかかっていないのだから

「濡れ手で粟」には、単純に「得な仕事・得な状況」を示す意味の他にも、やっかみや冷やかしの気持ちが含まれる場合もあります。誰かがたいして苦労もせずに、多くの利益を得ている様子を「濡れ手で粟」で非難するニュアンスです。

「濡れ手で粟」は古いことわざ

「濡れ手で粟」は、日本の古いことわざです。「粟」とはイネ科の穀物です。粟は米のような粒状で、表面が乾燥しているので濡れた手で触ると手にくっつきやすい特徴があります。

その「粟」の中に濡れた手を入れて粟を掴むと、掴んだ以外にもたくさんの粟が手についてくることから「あまり努力をしなくても得られるもの」のたとえとして「濡れ手で粟」と言われています。

「ぬれ手に粟」は本来は誤り

「濡れ手で粟」を「濡れ手に粟」と認識している人は一定数いるようです。結論から言えば「濡れ手に粟」は誤りではあります。

しかし「濡れ手で粟」ということわざが示す結果と「濡れ手に粟」が示す結果は同じであり、「で」と「に」の違いはあっても取りたてて大きな間違いとは言えません。

さまざまな言葉が時代と共に変化するのと同じように、「濡れ手で粟」も「濡れ手に粟」も同じ意味として使われています。

「濡れ手で粟」と似たことわざ

ことわざの中には「濡れ手で粟」と似た意味を持つものがあります。以下ではその中から2つご紹介します。

棚からぼたもち

「棚からぼたもち」とは、思いがけない幸運に恵まれることです。

・親戚の家に遊びに行ったら、たまたますき焼きをしていてご馳走になった、まさにたなぼたでおいしい思いをした

・同期の田中が一足早く出世したのは棚からぼたもちでも何でもない、ただ本人が努力しただけのことだ

・彼が最近部長に取り入っているのは、次回人事でのたなぼたを狙っているからという噂がある

「棚からぼた餅」は「たなぼた」と略して使われることが多いことわざです。もちろん略して使っても意味は同じですし、目上の人との会話で「たなぼた」と使っても、言葉自体に失礼はありません。

ただし「棚からぼた餅」は「濡れ手で粟」と同じように、本人の努力以外のところから生まれる幸運という意味なので、目上の人の功績や結果について「たなぼた」を使うのは失礼です。

海老で鯛を釣る

「海老で鯛を釣る」とは小さな努力で大きな利益を得るとことです。

・新商品の導入を断られていた取引先に、余っていた試作品を持って行ったら気に入ってくれて結局導入となった、海老で鯛を釣るとはこのことだ

・友人の子供に出張のお土産をあげたら、友人がお返しにと高級牛肉をくれた、海老で鯛を釣ったようで嬉しかった

「海老で鯛を釣る」は、何か小さな・安価なものをあげたら大きなものとなって返ってきた、という例えでも使います。

「海老で鯛を釣る」の言葉通り、小さなもので大きなものを釣り上げるイメージで使うと良いでしょう。

「濡れ手で粟」の類義語と対義語

「濡れ手で粟」には、ことわざ以外の類語や、対義語となることわざがあります。以下では「濡れ手で粟」の類語と対義語について解説します。

類語は「一攫千金」

「濡れ手で粟」の類語は「一攫千金(いっかくせんきん)」です。「一攫千金」とは、大きな利益を簡単に手に入れることです。

・気まぐれで買った宝くじが高額当選、一攫千金とはまさにこのことだ

・彼は自宅で思いついた便利グッズが大当たりして収入が100倍になったそうだ、まさに一攫千金

・彼女が通勤途中に手を貸した老人が、実は取引先の会長だった、それが縁で彼女は世界規模の大手企業に就職した、これは一攫千金に値するだろう

「一攫千金」は「金」という字が使われていることもあり、多くは大きなお金を得ることに使います。

しかし、直接的なお金を得たわけではなくても、長い目で見れば大金を得たも同然という状況についても使って問題ありません。

対義語は「骨折り損のくたびれもうけ」

「濡れ手で粟」の対義語、反対の意味を持つことわざは「骨折り損のくたびれもうけ」です。「骨折り損のくたびれもうけ」とは、多くの苦労をした割りに得るものが小さい・少ないという様子を表します。

・彼はゴルフ好きの社長に気に入られようと、わざわざゴルフクラブを買って、コーチまで付けて練習したのに、このタイミングで社長がゴルフをやめてしまった、かわいそうだがこれは骨折り損のくたびれもうけと言うしかない

・課長は取引先接待のために、毎晩遅くまで付き合っていたが結局契約は取れなかったそうだ、骨折り損のくたびれもうけとはまさにこのことだろう

骨折り損のくたびれもうけとは言いたくないが、これまで会社に尽くして来た割には退職金が少なく悲しくなった

「骨折り損のくたびれもうけ」は、少ない苦労で多くの利益を得る「濡れ手で粟」と正反対のことわざです。

散々苦労や努力をしたのに、思っていたほどの利が得られなかった、という場面で使います。