目次
「わきまえる」の意味と語源
まずは「わきまえる」の意味と、その言葉の語源について解説します。
「わきまえる」とはけじめを心得ること
わきまえる、とは「自分の立場からして、すべきこととすべきでないことのけじめを心得ること」です。
私はわきまえたつもりだったが、それが彼にとっては不快だったようだ
あなたは部外者なのだから、もっとわきまえて発言をしなさい
彼は自分をわきまえているからこそ、あの時その場に来なかったのだろう
「わきまえる」とは、その場の状況や自分の立場を鑑みて、言動を意識することです。たとえば、目上の人と会話をするときに敬語を使うのも、自分の立場をわきまえた行動だと言えます。
「わきまえる」の語源は「弁ふ」
「わきまえる」には漢字があります。それは「弁える」です。読み方が少し難しく「べんえる」と読み間違いやすいので注意しましょう。
「わきまえる」の漢字が「弁える」となったのには、言葉の語源が影響しています。
「わきまえる」の語源は「弁ふ(わきまう)」です。「弁ふ」とは、昔の言葉です。今の言葉に置き換えると「心得る・理解する」などでしょう。
やはり現代の「弁える」と同じで、その場の状況や相手との関係を考えた上で理解し、自分の言動にけじめをつけるという意味です。
「わきまえる」の使い方と例文
「わきまえる」という言葉は、さまざまな言葉と併せて使われます。以下では、「わきまえる」の代表的な使いッ方をフレーズごとに解説します。
身の程をわきまえる
「身の程(ほど)をわきまえる」とは、自分の身分を理解することです。
彼女はまだ、身の程をわきまえるということを知らない
私は彼の妻として、身の程をわきまえた行動をとるようにしています
この場合の「身分」とは役職等のことに限らず、自分が置かれている立場そのものを指します。
自分をわきまえる・立場をわきまえる
「自分をわきまえる」「立場をわきまえる」とは、自分の置かれている立ち位置を意識するという意味です。
私は自分をわきまえることについては自信があります、相手を不快にさせたり場の雰囲気を悪くすることはしません
もっと立場をわきまえないと、大変な失態をおかすことになりそうだ
「自分をわきまえる」とは、文法的にはやや違和感を持つ人が多いかもしれません。しかし口語的な利用であれば、ほぼ意味を伝えられるでしょう。
「自分をわきまえる」は「自分の立場や自分という人間の価値をわきまえる」という意味です。
場所をわきまえる
「わきまえる」を人ではなく、「場所」を使って表すのが「場所をわきまえる」です。これは「その場所に合った言動を理解する」という意味となります。
こんなところで飲み食いするなんて、もっと場所をわきまえるということを知ってください
彼は場所をわきまえて、挨拶を辞退したようです
「わきまえる」の言い換えに使える類語
「わきまえる」と似た意味で使える、類語について解説します。
見境(みさかい)
「わきまえる」と似た意味を持つ言葉に「見境」があります。「見境」とは、物事の善悪や可否についての判断のことです。
思い返せば、私は見境なくやりたい事をやっていたように思います
彼の言動は見境がなく、新入社員にはあまり良い影響を与えないでしょう
課長は見境なく発言する彼をたしなめた
例文のように、「見境」の多くは「見境がない・見境なく」という表現で使われます。いずれも良い意味では使われず、何でも手当たり次第・思いつくままに、浅い考えで立ち回る人を指す言葉です。
節度(せつど)
「節度」も、「わきまえる」と似た意味で使える言葉です。「節度」とは、良識の範囲内に抑制することです。
もっと節度を持った言動を心がけましょう
いつどんな時でも節度を保つことは、大事ではあるが大変難しいことでもある
彼女は節度を持った人が好きだ、と言っていた
「節度」は「節度を持つ・節度を保つ」などの表現で使われます。「節度がある・節度がない」でも伝わります。